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平野神社 宮座

場所
大野城市牛頸3丁目14番1号
分類No.
歴_み0054

平野神社 

宮座(みやざ)
10月17日 収穫の秋神社の行事で、牛頸12軒の皆さんで執り行われ、宮座のために育てた もち米の藁で製作した しめ縄を拝殿や鳥居などに取り付け新年を迎える準備をします。椎の木の棒状の杵で餅を搗き 鏡餅三重ねを奉納します。餅を搗く皆さんは口に榊の葉を咥えて、無言で一心に餅をつきます。(平野神社 資料より)

 

宮座は上牛頸六戸・下牛頸六戸の一二戸で構成している。宮座株の持ち主に変動があっても一二戸の構成には変わりない。ここの宮座は三日間に亘って行われる。明治のころまでは旧暦十月十九日を中心に行っていたが、大正の初めからは十月十七日の神嘗祭の日を中心に改めた。まず、十月一日に注連縄をない新穀を奉献する。十六日の夕刻から当番の家に宮座株を持つ家の戸主が参集し、餅搗と供え物の準備を行う。宮座当番は上座(上牛頸)下座(下牛頸)からそれぞれ一軒ずつが当たっていたため、六年に一回の当番であったが、昭和三十年ごろから上座、下座を統合して一軒としたため、現在では十二年に一回の当番が廻ってくることになった。この日は新米ご飯の宮座膳が出される。このお膳は通称「餅搗膳」という。その理由はこのお膳に座った戸主たちは一善の飯を食べると、庭や納屋などに準備された餅搗き場で宮座の餅を搗くからである。各戸から一升ずつ持ち寄った一斗二升の糯米で三重ねの鏡餅にするが、この餅搗は最も神聖な行事であるため、杵は毎年新しい椎の木の上下を削ったものを用い、十二人の男たちが口々に榊の葉をくわえて搗くのである。搗き終わると再び座敷に戻り本膳に座ってこの日の行事は終わる。 (大野城市史 民族編より)