にぎ協イチ押し!

天狗松の鞍掛けの松の碑

場所
大野城市山田
分類No.
歴-0043や文-0064や

笠が飛んだ話(山田)

大野北小学校正門前の県道36号線をへだてて、北西300メートル程の山田児童公園の横に森があって、昔から「御笠の森(みかさのもり)」とよばれています。
日本で最も古い歴史の本といわれている「日本書紀(にほんしょき)」や、元禄時代に書かれた「筑前国続風土記(ちくぜんこくぞくふどき)」という本に

仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)のお后である神功皇后(じんぐうこうごう)が、荷持田(のとりだ)(甘木市秋月字野鳥)に住む羽白熊鷲(はじろくまわし)という豪族を従わせようとして、香椎の宮(福岡市東区香椎)から松峡宮(まつのおのみや)(朝倉郡夜須町)へ向かわれていると、突然つむじ風が起こり皇后の被られていた笠が吹き飛ばされて、この森の木にひっかかったため御笠の森というようになった。そして、この地方の地名も御笠郡と名付けられた。

と書かれております。
武内宿彌(たけのうちのすくね)以下大勢の軍兵を率いて、香椎の宮から唐山峠(からやまとうげ)を越えて大野に出られ、宝満山から流れ出て博多湾にそそぐ川(御笠川)のほとりを、荷持田をめざして南に向かわれた神功皇后が、筒井の辺りまで進まれたときに、いたずらなつむじ風が皇后の笠を奪ってしまったのです。そこで土地の人たちは笠がぬげたところに「笠抜ぎ」という地名をつけました。今の大野城市上筒井字笠抜の地名は、こうして起こったということです。

皇后の笠が吹き飛ばされたのにびっくりしたお供の人たちは、急いでその笠を追いかけましたが、空高く舞い上がった笠は風に乗ってくるくる廻りながら、北へ北へと飛んで行って、1キロメートルはなれた山田の森の、大きな楠の木の梢にかかっていました。
やっと森までたどりついたお供の人は、早速この笠を取ろうとしますが、高い梢に笠のひもがまきついて、どうしても取ることができません。お供の人たちは大変困っておりました。
そのさわぎを見つけて村人たちも集まって来ました。事情を聞いた村長(むらおさ)は、森の神様にお願いして取っていただく以外に方法はないと思い、お供の人たちと相談しました。そして森の前の田んぼの中で、神様に奉納(ほうのう)する舞がはじまりました。するとどうでしょう。枝にからまっていた笠のひもは、ひとりでにするするとけて、笠はひらひらと舞人の上に舞い下りてきました。大変喜んだ村人たちは、そこを「舞田(まいでん)」と呼ぶようになりました。

今の大野城市山田大字御笠の森通称舞田の、地名の由来を知る人はほとんどありませんが、児童公園となって、子どもたちが蝶のように舞い遊ぶ姿は、舞田の地名にふさわしく、御笠の森の神様もきっと喜んでおられることでしょう。

こうして「御笠の森」「御笠郡」の名がつけられ、川の名も「御笠川」というようになったということです。