大野城市に残る伝説の記念碑
大野城市に残る「ひんどの人柱と火の玉」の伝説の記念碑です。平成15年1月に建てられました。
山田村や乙金、金隈村(かねのくま)へ水を引くための宮添井關は、御笠川が氾濫(はんらん)するたびに流されていたので、修理の話をしているときに人柱(ひとばしら)をたてて井堰を築くと壊れないという話が持ち上がりました。
生きたまま井堰の下に埋められるのですから、自分から進んで人柱になろうとする者はいないでしょう。
そこで庄屋(しょうや)の甚兵衛(じんべえ)さんは翌日の公役(こうやく)の時に横縞(よこじま)の襟(えり)の着物を着ているものを人柱にしようと決めたそうです。翌朝横縞の襟の着物を着た人がいたので、その人を井堰の下に埋めましたが、甚兵衛さんの姿が見当たりません。甚兵衛さんは自ら犠牲になり井堰の下に埋め込まれ人柱になったのでした。完成した宮添井堰は、その後の大洪水にも壊れず田畑をうるおし、山田村は豊かな村になったそうです。その後毎晩のように堤防(ていぼう)の上に火の玉が出るようになりましたが、庄屋の甚兵衛さんが火の玉となって見守ってくれていると考え、火の玉に向かって手を合わせ感謝したということです。