宮地嶽神社
大正時代の初めごろ牛頸小字横峰の川辺勇次郎氏が、宗像郡津屋崎町字宮司の宮地嶽神社から分霊勧請して、自分の持山である牛頸小字東浦一〇八番地の山頂に祀り始めたものであるが、昭和四十三年にこの山の開発により旧牛頸小学校の南端の現在地に移したものである。宗像の宮地嶽神社の祭神は神功皇后と、渡韓の際に皇后を抶けたという勝村・勝瀬大神の二明神と、宗像三女神である。現在は商売繁盛と関連の神として広く信仰されている。
●祭神 息長足毘売名(神功皇后) 勝村大神 勝瀬大神
●本殿・拝殿及び御神体本殿はブロック造りの台座の上に、木造銅板葺きの履屋があり、その中に神殿造りの木造神殿が納められている。拝殿はない。神殿の中には「宮地嶽三柱大神」と書かれた木札が納められている。
●祭礼 毎年四月二十一日と八月二十一日に、横峰区の旧住民と隣組長四名が各自手弁当を持ち寄り、お籠りをしている。当日はその年中に病気快癒した人は、神酒と茶菓子を供える風習がある。
●その他 鳥居は境内入口と社殿前に木製の鳥居があり、御神頭には共に「宮地嶽神社」と墨書されており、社殿前の鳥居の柱には「昭和五十九年七月吉日、奉納横峰組合中」と書かれている。 (大野城市史 民俗編より)