大野城市民を助けた井戸
貝原益軒(かいばらえんきん)著の『筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)』に「雑餉隈(ざっしょのくま)より南に近き村也。村中に筒井とて清水あり。木の筒を以て井韓(いげた)とす。此故に村の名をも筒井と云(いう)也。其水極めて清冽(せいれつ)にして、大旱(たいかん)といへとも涸(かれ)す。常に筒の上に湧上る。只冬至(ただとうじ)の夜許(ばかり)水出(いで)すと云。」と記されている筒井の由来にもなった井戸。
『筑前国続風土記』には木の筒の井戸枠と書かれているが、現在の井戸枠は花崗岩をくり抜いたもので、高さ約80㎝の枠が2段に積んである。これらの井戸枠の作られた年代は不詳。同じ種類の井戸は全国で数カ所発見されているが、この筒井の井戸は形、大きさ、美しさの点で、もっとも優れたものといわれている。
昭和50年代前半頃までは清水が勢いよく湧き出ていて、近所の共同井戸として利用されていた。炊事や洗濯の時間帯は賑わい、近くには共同風呂もあり村人たちは一日の疲れを癒していた。村人の憩いの場であったこの井戸も50年代後半頃から水量も少なくなり、今では井戸枠の縁から30㎝ほど下までしか水がたまらなくなり、現在使用はされていないが県指定有形民俗文化財としてその形を残している。