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大野城市の文化財 5 (群境界標)

分類No.
文-0014お

旧国道3号線(現在の県道112号線)の上り福岡方面へ向かって左側の道路沿いの錦町1丁目と雑飼隈町3丁目が境を揺する地点に立っていた角形の石柱です。。 1994年(平成6年) 3月18日に大野城市指定有形民俗文化財に指定されました。この貴重な文化財を見に訪れる人も多 いのですが、最近、破損がひどくなり、保存のため大野城市役所の中にある歴史資料展示室に移設をしまし
た。跡地には、場所を明示するための石柱と説明板を埋めこんでいます。

この郡境界標は、旧街道であった日田街道の名残で、当時の御笠郡と那珂郡との境界を明示するものでした。江戸時代には大野城市の大部分は、御笠郡に含まれていました。春日市や那珂川町、福岡市の中央区、南区などは那珂郡となっていました。道路に面した東面に、「従是東御笠郡、西那珂郡」、西面に、「文化丁丑歳月」、南面に、「筒井村抱」、北面に、「井相田村抱」と彫り込まれています。旧街道の姿も時代とともにその面影が薄れつつある中で、このように最近まで生き残っていた郡境界標は数少ないものの一つといえます。江戸時代には福岡・博多と、天領であった日田を結ぶ日田街道は、筑前の重要な街道として整備され、雑約隈は宿駅の一つとなっていました。大野城市内をはじめ各地にとぎれとぎれではありますが、今も残る日田街道をたどりますと、二日市宿を過ぎ御笠郡と夜須郡の境界(現在、筑紫野市天山、朝倉郡夜須町二)にたたずむと、ほぼ同じ大きさと形の花崗岩でできた境界石が、昔の姿のままに迎えてくれます。それには、 「従是東夜須郡、西御笠郡」としるされてます。これら の境界標を見ていると古の人々が往来した姿がよみがえってくるようす。 (歴史資料展示室解説シートより)