盗人の宮
下筒井のお宮は、九郎天神社または黒男神社とも言いますが、別名「盗人の宮」とも呼ばれています。
黒田藩主(くろだはんしゅ)初代長政(しょだいながまさ)のとき、城下町博多に住んでいた正直な若者が、身に覚えがないのに盗人のぬれぎぬをきせられました。奉行所(ぶぎょうしょ)に行って自分は盗人でないことを弁解したしたくても、その証拠はないのです。本当の盗人を見つけ出して奉行所に連れて行く以外には、助かる方法はありませんので、仕方なくしばらくの間身をかくして、犯人を自分で探すことにしました。
若者を捕らえに行った役人は、逃げたことを知って追いかけました。若者は博多から二里の道を一気に歩きつづけ、雑餉隈(ざっしょのくま)までのがれて来ました。そこには三十数軒の人家があり、茶店もあって往来の人が休んでおります。あまり急いできたので喉が乾き、一軒の茶店でお茶を飲んでいますと、表を通る人が「役人が街道ぞいの村々で盗人を探しながら、こちらにやって来るが、とても恐ろしいことだ」と話しながら通るのを聞いて、追手が近くまで来ていることを知り、急いで立上り小走りに逃げて筒井村に入りました。
ここは筑前国那珂郡と御笠郡の境です。二十軒ばかりある筒井村の入口の街道の脇に、楠・松・杉などの老樹がうっそうと繁った大きな森がありました。若者はこの森にかくれることにしました。
森の奥に古い祠があります。それが天神様の祠であることを知った若者は、遠い昔藤原時平らのためにおとしいれられ、無実の罪をきせられて太宰府に流された菅公と、ちょうど今の自分が同じ境遇であることを思えば涙がこみあげ、どうぞ助けてくださいと一生懸命お願いしました。この若者が正直者であったので、天神様も願を聞き入れ、祠のかげにかくまってくださったのでしょうか、役人はすぐ側まで来ましたが、とうとう探し出すことができず、すごすごと奉行所へ帰って行きました。
天神様のおかげで捕らえられずにすんだ若者は、さんざん苦心して本当の盗人を探し出し、奉行所に連れて行って汚名をはらすことができました。
それからこのお宮を「盗人の宮」というようになったということです。