江戸時代の道案内版
釜蓋(かまぶた)の古い集落のはずれにある道しるべ。西暦1744年江戸時代に地元の人によって建てられて、大切にされてきた道しるべで、両脇にはいつのころからか2体の仏像が据えられている。『市指定有形民俗文化財』
道標石は自然台を台座にした角形の石柱で、本来田中道に面していたと思われる。田中道とは大野城市域を通る近世の主要な道路の一つで、名前の由来は筑後領主田中吉政(ちくごりょうしゅたなかよしまさ)と入魂(じっこん)の福岡藩黒田藩黒田長政が吉政の江戸参勤や下向のために整備した道など諸説ある。道標石自体が旅行や行路安全の神様として人々に信仰されているのは珍しいものである。