縁起・本殿・拝殿・御神体・鳥居その他の記録
●祭神 埴安命
●縁起
この地区は畑詰区といっていたが、昭和五十四年十二月二十八日から仲畑三丁目と町名変更があっている。ここの神社創建の時期は不詳である。祭神の神格については市内他地区の地禄神社と同じである。
●本殿・拝殿及び御神体
(1)本殿・拝殿 畑詰村の庄屋染原夘助(精五郎)の文化文政年間の『連年日記』の中に、畑詰地禄神社の社殿に関する事項の記録がある。幸にして御神体は焼失を免れたので、区民及び近隣有志の方々の寄進により、昭和十四年八月に再建されたのが現在の社殿である。昭和十五年四月十五日に建立された「畑詰地禄神社改築費寄附者芳名碑」が境内に建っている。
(2)御神体 御神体は木造寄木造の座像で像高四二センチあり、頭には立鳥帽子を冠り、着衣は錦模様に着色され、手は左手を上に右手を下にして組み、杓は紛失している。多分、昭和十四年の火災の時に紛れてなくなったものであろう。
●鳥居その他の記録
鳥居については畑詰村庄屋夘助(精五郎)の「連年日記」の記されている。現在の石鳥居の銘にも「安政七年庚申正月吉日」と刻まれているので、文化十年(一八一三)に木製で建てられていたのが老朽化し、安政七年(一八六〇)に石造りで建替えられたことが確認できる。 (大野城市史 民俗編より)